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門付け(かどづけ)
 人家の門の前に立って行う芸能。報酬として、お金や食料(米など)をもらう。門ごとに神が訪れて祝福を与えたという民俗信仰から生まれたらしい。
ボサマ
 漢字では「坊様」と書く。三味線を掻き鳴らし、「門付け」や大道芸をする男盲の芸人のこと。
ゴゼ(瞽女)
 ゴゼとは眼の不自由な女性何人かが一組になって村から村へ三味線を弾き、唄を歌って旅をする吟遊詩人のこと。1年のほとんどの間、旅をしながら過ごし、目的の村に着くと、ゴゼ宿という泊まりつけの家に荷物をおろしては、家々を門付けして歩き、夜は宴席で民謡などを歌った。盲男の当道のような相互扶助の「座」という組織があって、厳しい規律が定められていた。例えば、結婚は禁じられていた。規則を破ったゴゼは師匠から破門され、「はぐれゴゼ」あるいは「はなれゴゼ」といわれた。ゴゼで有名なのは長岡ゴゼ・高田ゴゼ(新潟県)である。江戸時代に津軽地方にゴゼが巡歴したという確証はないが、原作者の大條氏によると、以下の2つの言い伝えが残っているとのことである。

(1)幕末の頃、一人のはぐれゴゼが十三港より帆船に乗り、城下町弘前へ行く途中腹痛を起こした。神原の渡しにさしかかったとき、絶えかねて下船した。そのゴゼを介抱したのが渡し守の三太郎であった。ゴゼは恩義を感じ、三太郎と夫婦になった。そして生まれた子供が仁太郎であった。

(2)十三港に上方から来た盲目の女三味線弾きがいた。この女性から仁太郎が三味線と唄を習った。
当道座(とうとうざ)
 中世から近世にかけて、『平家物語』を琵琶の音に合わせて語る(平曲)琵琶法師達が、自分達の芸道・集団を「当道」と呼んだらしい。室町時代の初期に平曲家・明石覚一が、仲間を組織化して「当道座」を創設し、眼の不自由な人はこれに属して幕府より保護を受けていた。室町期には検校(けんぎょう)・別当(べっとう)・匂当(こうとう)・座頭(ざとう)の四官が設けられたが、江戸時代には、寺社奉行の管轄下で座頭がさらに18の位に分けられるなど、細分化された階級組織となっていた。津軽藩には全国的な当道組織の支部に相当する組織があり、城下町・弘前には座頭町があり、士・農・工・商の身分に属する目の不自由な少年は14〜15歳になると座頭に弟子入りすることになっていた。平曲(平家琵琶)の他、琴・三味線などの音楽と按摩・鍼・灸などの医療などが公認されていた。
 元来、当道座に属する人たちは、「門付け」は行わず、寺社奉行への届け出のもと興行を行っていたが、廃藩置県後、幕府の保護を受けられなくなった後、「門付け」をするようになった。
イタコ
 苦しい修行を経て、亡き人の言葉を伝えたり、占い・予言を行うなど特別な能力を持つ人(シャーマン)のこと。ほとんどが、生まれながら、もしくは、幼い時に盲目か盲目に近い弱視になった女子が師匠のイタコに弟子入りをして修行をした。修行の方法は師匠によって違うらしい。NITABOHでは、恐山の大祭や現役のイタコである日向恵子氏に取材させてもらい、本編制作の参考にした。
 亡くなった人とこの世に生きる人の仲立ちとなって死者の言葉を伝えることを「口寄せ」あるいは「仏降ろし」という。
太棹(太三味線)と細棹(細三味線)
 中国の小型の楽器「三弦」(さんしぇん)に起源を持つとされる三味線は、14世紀末に琉球(沖縄県)に伝来、16世紀後半には日本本土に伝わったとされている。その後はいくつかのルートを経て現在さまざまな種類の三味線となり、大まかに分類しても、太棹、中棹、細棹と分かれる。三味線は棹の太さに比例して胴も大きくなり、胴の皮も厚くなる。細棹の皮は猫皮が中心だが、太棹は犬皮である。これらの違いが、音色・音量の違いとなっている。大條和雄氏によれば、当道座のボサマのほとんどが細棹を使っていたのに対して、仁太坊系のボサマは太棹を使用していたらしい。
 
 
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